卦という呪縛

易に目覚めてしまった人は、

とにもかくにも六十四卦や八卦が”大好き”であることと思います。


どこまでも果てしなくマニアック一直線。

もう卦なしじゃ生きていけない。



私もそうです。




ところが。


易を愛し、

また易に魅入られ(そういうことが起きえると思います)、

だからこそ、

易の卦の呪縛を受けてしまうこともあるのかもしれません。



たった64の卦ですべてを説明「しなければならない」、

「できなければならない」

そう、無意識の中で思いこんでしまうのかもしれません。


卦を使わないと易占ができない、なんて

誰が言ったんだい?


最も大切なことは、

易の卦に縛られることではないのかもしれません。


その背後にある、

易を易たらしめる、「理」なのではないでしょうか。


卦というのは数式で例えれば

xやyみたいなもので、


べつにx、yにこだわらずとも、

それはAやBであったって計算はできるのです。


大事なのは計算方法、計算が成り立つ「理」屈のほう。


そう思います。



0コメント

  • 1000 / 1000