陰陽の羅列という宇宙観
易占とは本当に本当に不思議なものでして、
なぜこんなものがこの世にあるのだろう、といつも「最初に考えたひと」のことを思います。
なんだってそうですが、「最初に見つけた人」「最初に試した人」というのは実に偉大だと思います。
たとえば…こんにゃく。
(易とは全然関係ないですが、なんと中国の古典にも蒟蒻が出てくるらしいのです。)
こんにゃくの製法を初めて知ったとき、
正直一番最初にこんにゃくを発明した人の、こんにゃくにかける熱いタマシイみたいなものを感じました。(笑)
東洋系の占いは、その起源がそれこそ不思議なエピソードで構成されていたりすることがあります。
世の中を見渡して、
「あぁ、世の中って陰と陽なんだな」
「陰は陽を生み、陽はいつか陰へと帰るんだな」
「同じものでも陰陽両方の性質があるんだな」
などなど気づいてしまった天才さん。
ここまではまだ理解できますが、
「よっしゃ、陰陽を記号化して6つ重ねたろ」
というその発想はもう常人には不可能です。ええ。
そんな不可思議な64のイラスト(卦(か)といいます)を用いて、次の展開を予測する術。
易ってなんですか?
と言われたら
通常であれば「占いです」と答えたくなります。
でも、正確に言えば、
「(地球上における)世界観・宇宙観」のようなものかもしれません。
こうなったらな、
普通次はこうなるんじゃよ。
何千年分の、そんな積み重ねが現代の易なのかな、と思ったり。
コンピューターがない時代の、計算機のようだとも思ったり。
そんな印象を持っています。
パソコンがないと生活が成り立たないように、
私にとって易は必要不可欠なものです。
ありがたいことです。
0コメント